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【社説】 「聖徳太子は、日本の政治的意図による創作・捏造…天皇の歴史的正統性を構築する“日本書紀”との対決に期待」…中日新聞★2

1 :春デブリφ ★:2008/02/11(月) 09:34:50 ID:???0
・実在から非実在へ、聖徳太子像が大きく書き換えられようとしています。戦後歴史学がたどりついた
 成果とも、真実追究の学問がもつ非情さともいえるでしょうか。
 聖徳太子を知らない日本人はまずいません。教科書風にいえば、六世紀末から七世紀前半の飛鳥
 時代、日本の伝統精神に仏教や儒教の外来思想を身につけ、日本の国力と文化を飛躍的に高め
 世界の先進国入りさせていった皇太子です。
 もっとも、一時に八人の訴えを聞いて誤りなく裁いたことから、八耳皇子と呼ばれたとの伝承や
 生まれたときから言葉を話し高僧の悟りに達していたとの伝説、予知能力や中国の高僧の生まれ
 変わりで、最澄は玄孫などの輪廻転生の説話などには訝しさを感じさせるものではありました。

 誇張や粉飾があったにしても、実在と非実在では話の次元が全く違ってしまいます。ところが、
 積み重ねられた近代の実証的歴史学の結論は「聖徳太子はいなかった」で、決定的らしいのです。

 聖徳太子の実在に最後のとどめを刺したとされるのが、大山誠一中部大学教授の一九九六年
 からの「長屋王家木簡と金石文」「聖徳太子の誕生」「聖徳太子と日本人」などの一連の著書と
 論文、それに同教授グループの二〇〇三年の研究書「聖徳太子の真実」でした。
 それらによると、聖徳太子研究で最も重視すべきは、日本書紀が太子作として内容を記す「十七条
 憲法」と「三経義疏」。数多くの伝承や資料のうち太子の偉大さを示す業績といえば、この二つに
 限られるからだそうです。

 このうち十七条憲法については、既に江戸後期の考証学者が太子作ではないと断定し、戦前に
 津田左右吉博士が内容、文体、使用言語から書紀編集者たちの創作などと結論、早大を
 追われたのは有名です。
 三経義疏は仏教の注釈書で太子自筆とされる法華義疏も現存しますが、これらも敦煌学権威の
 藤枝晃京大教授によって六世紀の中国製であることが論証されてしまったのです。
(続く)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2008021002086536.html
※前スレ(1の立った日時 02/11(月) 03:29)
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1202668198/

2 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:35:55 ID:fyrEZw8X0
デブリ仕事早えーw

3 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:36:04 ID:onlslMvX0
アフォ

4 : ◆EXCELrKsDc :2008/02/11(月) 09:36:17 ID:NBgDiKnI0


5 :春デブリφ ★:2008/02/11(月) 09:36:32 ID:???0
>>1の続き

法隆寺の釈迦三尊像や薬師如来像、中宮寺の天寿国●帳も、その光背の銘文研究や使用
 されている暦の検証から太子の時代より後世の作であることが明らかになってきました。

 国語・国文学、美術・建築史、宗教史からも実在は次々に否定され、史実として認められるのは、
 用明天皇の実子または親族に厩戸王が実在し、斑鳩宮に居住して斑鳩寺(法隆寺)を建てたこと
 ぐらい。聖徳太子が日本書紀によって創作され、後世に捏造(ねつぞう)が加えられたとの結論が
 学界の大勢になりました。

 太子像が創作・捏造となると、誰が何のために、その源となった日本書紀とは何かが、古代社会
 解明の焦点になるのは必然。そのいずれにも重大な役割を果たしたのが持統天皇側近の
 藤原不比等というのが大山教授の説くところ。長屋王や唐留学帰りの僧・道慈が関与、多くの
 渡来人が動員されたというのです。

 日本書紀は養老四(七二〇)年完成の最古の正史で、その編纂過程に律令体制の中央集権
 国家が形成されました。隋・唐の統一と東アジアの大動乱、それによる大化の改新や壬申の乱を
 経て、古代社会の「倭の大王」は「日本の天皇」へ変わったとされます。

 大変革の時代の日本書紀の任務は誕生した天皇の歴史的正統性と権威の構築です。それが、
 高天原−天孫降臨−神武天皇−現天皇と連なる万世一系の思想と論理、中国皇帝にも比肩
 できる聖天子・聖徳太子の権威の創作、書紀は政治的意図が込められた歴史書でした。

 大山教授の指摘や論考は、歴史学者として踏み込んだものですが、隋書倭国伝との比較など
 から「用明、崇峻、推古の三人は大王(天皇)でなかったのではないか」「大王位にあったのは
 蘇我馬子」などの考も示しています。「日本書紀の虚構を指摘するだけでは歴史学に値せず、
 真実を提示する責任」(「日本書紀の構想」)からで、日本書紀との対決と挑戦が期待されます。
(続く)

6 :春デブリφ ★:2008/02/11(月) 09:36:56 ID:???0
>>5の続き

 日本書紀が展開した思想と論理は千三百年の現実を生き現代に引き継がれました。憲法と
 皇室典範は「皇位は世襲」で「皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と定めています。
 しかし、万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、
 その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。建国記念の日に永遠であるかのような
 日本の原理の由来と未来を探ってみるのも。※●は繍の旧字(以上)


7 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:37:12 ID:5FtSWURC0
紀元前660年となった根拠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E7%B4%80
干支は60年の周期で単純に繰り返すので簡易に計算できる。
そのため神武天皇の即位年の「辛酉年」は日本書紀の編年から遡ると紀元前660年に相当することになる。

明治時代に歴史学者那珂通世が、日本書紀はその紀年を立てるにあたって支那の前漢から後漢に流行した讖緯説(しんいせつ)を採用しており、
推古天皇が斑鳩に都を置いた西暦601年(辛酉年)から逆算して1260年遡った紀元前660年(辛酉年)を、
大革命である神武天皇即位の年として起点設定したとの説を立てた。
これは隋の煬帝により禁圧されて散逸した讖緯説の書(緯書)の逸文である『易緯』の鄭玄の注に、
干支が一周する60年を1元(げん)といい、21元を1蔀(ぼう)として算出される1260年(=60×21)の辛酉(しんゆう)年に、
国家的革命(王朝交代)が行われる(辛酉革命)という事に因む。

辛酉年の春正月の朔(訓はつひたち、新月すなわち月齢0=太陰太陽暦では常に1日で、
このときの干支は庚辰)に、天皇、橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳を天皇の元年とす。
(「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」『日本書紀』神武天皇元年正月朔の条)。


つまり、推古天皇の頃に、建国記念日は伝承・伝記を元に決められ、明治時代に再確認された。

8 :hx3refoE:2008/02/11(月) 09:38:26 ID:NBgDiKnI0
12345678

9 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:38:32 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯の学
 我が国の歴史、古い時代の年立てに無理なところがあるのは、その原因を探ってみるに、
外国から間違った歴史の法則を採用したからです。支那には古くから、歴史には必ずその
様にならねばならぬ法則があって、従ってその法則を飲み込めば、予言することが出来るの
だと信ぜられていました。支那の歴史を書いた書物の中で、古くもあれば見事でもあるのは
司馬遷の作った史記です。史記は古事記や日本書紀より800年ばかり前に作られたもので
す。その史記を見ると、戦国の紛乱の後に武力を以てこれを平定し、天下を統一したものは
秦の始皇で、その功績は石に刻まれて表彰せられ、その宮殿は1万人を収容し得るものを
建てるという得意さでしたが、なにぶんにも武力で他を圧倒しただけで徳が無く、人望が無か
ったためにいつ反乱が起こるかも知れないという心配を持っていました。
そこへある人が、予言書を手に入れて持ってきました。開けてみると「秦を滅ぼすものは胡で
ある」と書いてあった。始皇はこの「胡」を、北方の異民族を指すものと解釈し、蒙恬(もうてん)
という将軍に、30万の兵をつけて北方の異民族を討伐させると共に、その南下を防止するため
に万里の長城を築造させました。ところがそれより4,5年後に、始皇が亡くなり、その子胡亥
(こがい)が後を継いで皇帝の位に就き、威権を示そうとして刑罰を厳しくするや、たちまち反乱
が起こり、二世は僅か3年で自殺し、秦は滅びてしまいました。即ち予言書に「秦を滅ぼすもの
は胡である」と記されてあったその「胡」は、北方民族ではなくして、実は二世皇帝胡亥のことで
あったというのです。

10 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:38:47 ID:d4q9AYE60
サヨク脳の老いぼれたちにも困ったもんだ

馬鹿は死ななきゃ直らないかww



11 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:38:48 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 秦が滅びて後、天下を統一して大帝国を築いたのは漢ですが、その漢が200年ばかり続
いた後、一応滅びたのを再び建て直したのが後漢の光武帝です。その光武帝が未だ民間人
であったときに、ある人が予言してあなたによって漢の王朝は再興せられる運命にあるといい、
光武帝の奮起を促しました。
 この予言が的中したものですから、運命を予言する学問が盛んになりました。これを讖緯の
学といいます。それは人生の出来事、必ず一定の法則に支配せられているもので、決して偶然
に変化が起こるわけではない、その法則を理解し、変化の徴候を掴み、前兆を判断すれば、
前もって将来のことを予測し、正しく予言できる、とするのです。
 この学問は、巷間が亡びた後には晋がこれを禁じ、やがて隋も厳しくこれを取り締まり、これに
関する書物を焼き、これを宣伝する者を厳罰に処したために次第に衰えましたが、その衰える
前に、既に朝鮮に伝わり、それが更に海を越えて我が国に入ってきました。

12 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:38:58 ID:U1vgy/XP0
どうでもいいけど、聖徳太子が否定されたからって、


     日本人のアイデンティティが崩壊される


というような主張はしないでほしいな。

13 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:39:04 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 それでは讖緯の学からその様なことが出てくるかといいますと、
(一) 辛酉の年は、人生の大きな変わり目であること
(二) 1,260年を単位として、歴史の時代は転換すること
 辛酉というのは60年に一度あります。従って61年目に、大きな変化が来るはずです。


聖徳太子の新しい政策が制定・施行され、新時代の発端と当時は考えたので、もっとも近い
辛酉の年が推古9年であったので元年と定めた。これを元に、神武天皇を1,260年前とした
ので、年立てに無理が出て、皇紀が引き延ばされる結果になった、と考えられているようです
ね。大体500年くらいは長くなっているのでは、という説を著者は述べています。

14 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:39:23 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 実際の事実は、これ(皇紀)とは違っていたのでしょう。どう違っていたかと言えば、神武天皇
の御代と、推古天皇の御代との間隔が、それ程長くなかったのです。長くないものを長いとした
為に、御歴代天皇の御寿命も、その御代に活躍した人物の命も引き延ばして長くして、兎も角も
話が合うようにまとめねばならなくなったのです。
 それでは我が国の歴史、古いところは一向デタラメで信用できないものか、というに、そうでは
ありません。年の立て方は(中国・朝鮮から来た讖緯の学によって)誤り、年代は伸びすぎてい
るものの、事実そのものには讖緯の説も介入せず、手を触れていません。もし手を入れたとすれ
ば、例えば神武天皇より推古天皇まで、33代であるものを、十数代増やして45,6代とすれば
御寿命にも無理が無く、万事辻褄が有ったでしょう。それをしなかったものだから、年立てに無理が
生じたのですから、口伝(いいつたえ)にはほとんど手を入れず、僅かに御寿命に影響が出た程
度と思われます。

15 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:39:35 ID:GhnHK7aA0
そのものズバリが居たかどうかは別にして役割を演じた人物は居るだろ。
そいつを聖徳太子と読んで何が悪い。
当時の人は日常的に諡号で呼ばねぇ、だから聖徳太子と標記するのは間違いと言うなら、
漢高祖とか欠地王とか織田信長とかありえねぇだろ。JK

16 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:39:40 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 次に、それではいったいどれほど年代が延びすぎたのか、といいますと、支那大陸には、
度々国家が建設せられては亡び、亡びてはまた別の国家が作られ、そしてそれぞれの歴史
が書かれましたが、その中に宋書というのがあります。その宋書の中に、我が国との交渉の
記事があって、宋の武帝の永初2年(西暦421年)には、我が国では仁徳天皇の御代であった
事が判ります。仁徳天皇は、第16代の天皇ですから、その前を15代遡れば、神武天皇の
御代になります。一代は平均30年というのが常識ですから、30年を15倍にして450年、
西暦421年から450年ばかり遡った辺りが我が国の建国の時と考えられます。つまり皇紀は
事実より500〜600年延びているわけです。


江戸幕府は15代将軍徳川慶喜で終わるが、1600年から1868年、つまり268年だった。
という勘定でいくと、西暦421年から268年遡って、西暦153年、この辺りってことも考え
られるとは思う。いずれにしても1世紀から2世紀頃に興ったとみてもおかしくないと思われる。

17 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:39:50 ID:8NVdCbod0
聖徳太子がいなかったら、推古天皇の歴史的役割が再評価されるんじゃね?


18 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:01 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 かように言いますと、皆さんは皇紀を軽んじ、或いはこれを改定したらよいではないか、と
思われるかも知れませんが、(中略)それは皇紀だけではありません。世界各国各民族、あ
るいは各宗教に色々の紀元が立てられていますが、そのどれを見ても正確に事実を実証し
得るものは殆どありますまい。今年昭和45年はそれらの紀元では次のようになります。

キリスト紀元(西暦) 1970年 (昭和45年)
インド教歴紀元 2026年
回教暦紀元 1349年
フリーメーソン紀元 5970年
ユダヤ紀元 5730年
コンスタンチノープル紀元 7478年
アレクサンドリア紀元 7462年
マケドニア紀元 2281年
スペイン紀元 2008年
ペルシャ紀元 1339年

これを見てどう思いますか。西暦の他は歴史的事実としては先ず信用が難しいと思われるで
しょう。ところがその西暦ですら、事実とは違うのです。即ちそれは、キリストの誕生を紀元元年
とする建前ですが、実はその計算には誤りがあって、キリストの生まれたのは紀元元年では
ないのです。

19 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:21 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

第四章 皇紀(下) 讖緯(しんい)の学
 2,000年、3,000年も前となれば、どの国にしても正確に年月を押さえる事のむつかしい
のはこの通りで、我が国の古代史に年の延びすぎがあっても、それは珍しいことではなく、か
つまたそれは讖緯の説の責任であって、我が国の歴史自体の責任ではないのです。
 即ち、我が国の紀元、つまり今年を皇紀2,630年(2008年現在では2,668年)というのに、
後から調べてみると500年ばかりの間違いが出ましたけれども、そのような間違いが出るほど
我が国の歴史は古いので、それはむしろ楽しいことで、少しも心配する必要は無いのです。

20 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:30 ID:bUD1sUDI0
ソウル最古の建造物であり国宝1号「南大門」が全焼。早速日本のせいに★6
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1202689874/



21 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:38 ID:UiRx6lZO0
>>10 馬鹿は死んでもなおらない

22 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:50 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

11章 聖徳太子(上) 十七条の憲法
 聖徳太子というのは御徳を褒め称えてお呼び申し上げた名で、元は厩戸皇子(うまやどの
おうじ)と申されました。厩戸皇子という名は、御母后が宮中御散歩のみぎり、厩の前へさしか
かられた際にご出産になったからだと伝えられています。非常に御聡明で、一時に八人の訴
えをお聴きになり、少しも過ち無くこれを裁決し給うたので、八耳皇子(やつみみのみこ)と申し
上げて感嘆したといいます。摂政とならせ給うた時、御年は二十歳でありました。しばらく不幸
不運が続いてやや衰えていました朝廷の御威光も、今やこの素晴らしい皇太子の摂政を迎え
て、燦然として輝くようになります。
 太子の新しい政治は、先ず冠位の制定に始まります。推古天皇の11月12日、冠位十二階
を定め、人物を選んでこれを授けられました。十二階というのは、

 大徳、小徳、大仁、小仁、大礼、小礼、大信、小信、大義、小義、大智、小智

で、つまり徳仁礼信義智という六つの徳目を、それぞれ大小にわけられたものです。そしてその
位によって冠の色が違っているので冠位といわれるのですが、これまでは氏族によって尊卑の
差別があっただけでしたが、これからは個人の人物功績によって、朝廷より認められた新しい
上下の秩序が立つようになってきたのです。これが受け継がれ、発展して後世の位階制度と
なるのです。

23 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:40:51 ID:XzE0B27R0
水戸光圀はいたけど水戸黄門なんかいねえよwww

ということか?

24 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:41:14 ID:XTBgSOjF0
隋書倭国伝

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm

王の妻は?彌と号し、後宮には女が六〜七百人いる。太子を利歌彌多弗利と呼ぶ。
城郭はない。内官には十二等級あり、初めを大コといい、次に小コ、大仁、小仁、
大義、小義、大禮、小禮、大智、小智、大信、小信(と続く)、官員には定員がない。

これを読んで、聖徳太子だと思う奴はいないと思う。



25 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:41:31 ID:yDTUaI0C0
この電波文リアルで読んだが、
こういう文がチェック無く飛んでくるあたり
中日新聞は駄目かもしれん


26 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:41:36 ID:hDnPQBeO0
本当に中日新聞って日本人が憎いんだな……。正直、怖くなった。

27 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:41:44 ID:d4q9AYE60
>>12
「日本人のアイデンティティ」を
コッソリすりかえるような真似もやめてほしいもんですなぁw


28 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:42:25 ID:0QbLeF+50
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm

29 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:42:50 ID:RAyqBWi20
この説唱えてる奴は左巻きってことだな

30 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:43:08 ID:foi4/DM1O
反日???

31 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:43:32 ID:xtzZ8qna0
>万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、
>その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。

そんなものは誰でもわかるだろ。主神が天照大神なんだから。
男系で繋げるのが支那からの輸入品で、何か問題でも?
少なくとも有史以来続いてる伝統なんだから、このまま男系でいけばよろしい。

32 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:44:10 ID:XTBgSOjF0
>>24

以下も読んでね。
聖徳太子とも推古天皇とも重なる部分はまったくない。
蘇我馬子ならば、ありうると思う。


開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩?彌、
遣使を王宮に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ
明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く
「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。


33 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:44:45 ID:fyrEZw8X0
>>31
中国は男系じゃないけどね

34 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:08 ID:V8AT/miR0

中国4千年だか、3千年の歴史、などというバカバカしいでっち上げこそ
是非力を入れて論証して欲しいよね


35 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:13 ID:6bsFS5bO0
中日新聞ってなぜにこう反日なのか?
中華日報の略か?

36 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:17 ID:+Pou18gm0
建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

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建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!

建国記念日に合わせた「左翼教授の妄言」と「左翼新聞の売国」の華麗なるコラボレーション!!!!!


37 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:25 ID:lPA338gBO
厩戸の皇子さまはいたよ
えみしとラブラブなんてす

38 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:32 ID:Oxioe4la0
女系天皇に話を持って行きたいだけジャン

39 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:45:56 ID:0QbLeF+50
聖徳太子/下 歴史の創作はさらに根が深い!?  
2003年 02月 14日
 「太子架空人物説」の大山誠一さんは「白村江(はくそんこう)の敗戦が決定的だった」
と述べる。663年、滅亡した百済の復興を支援した倭軍が唐・新羅連合軍に惨敗。
救援どころか両軍の進攻を恐れる非常事態を招いた。先進地、大陸との交流は断絶し、
文化の差も一層広がった。遣唐使が再開され、遅れをまざまざと思い知らされる。

 「当時、新羅は全盛時代で、半世紀は日本の先を行っている。コンプレックスですね。
けんかをすればこっちが強い。でも、文化でも勝ちたい。急に追いかけるには“飛び級”
が必要なのです。誰かに跳んでもらわなければいけない。日本という国が聖徳太子を
必要としていたのです」
http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon14.html


コイツ在日なんじゃねーか?

40 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:46:22 ID:XTBgSOjF0
>>34
中国は民族の入れ代わりが激しいからどうとでもいえる。


41 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:46:28 ID:yNEKgUqD0
きちがい新風の主張

http://shukenkaifuku.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=768&summary=on

42 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:46:47 ID:fyrEZw8X0
>>37
腐女子乙w

43 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:47:46 ID:XhKwLFHo0
おいおい、聖徳太子はイラン系ソグド人の末裔だぜ?

44 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:48:46 ID:0QbLeF+50
>>1
中日の大山珍説を真にうけないように

不比等が影響力を行使したことを示す直接的な史料はない

  藤原不比等の本来の諱(いみな)は「史」であることから、修史
に関係したと思われがちであるが、そのことを実証する確実な史料は
何もない。だが、不比等は708年(和銅元)右大臣に任命され、
『日本書紀』の完成時期には、国権の最高責任の要職にあった。『日
本書紀』の完成に不比等とその一族が大きな役割を果たしたことは容
易に推測できる。

  たとえば、692年(持統6)9月、一族の中臣大嶋は神祇官の
長として『神宝書』4巻を献上している。『神宝書』とは、各神社の
神宝にまつわる神話伝承を記録したものである。708年(和銅3)
3月から図書頭で侍従を兼ねていた藤原武智麻呂は、図書経籍を検校
し、壬申の乱以来官書や巻軸が欠乏していたのを充実するのに尽力し
ている。

  当時の廟堂における実力者であった不比等が『日本書紀』の最終

的な仕上げに無関心であったとは考えにくい。舎人親王の影の存在と
して大きな影響力はもっていたであろう。だが一方で彼は養老律令制
定の最高責任者として多忙な日々を送っていたはずである。養老律令
十巻が完成するのは718年、『日本書紀』完成の2年前である。そ
の時点では史書の骨格はすでに確定しており、撰述作業も最終段階に
入っていたと思われる。

  不比等がその影響力を行使して、史実をへし曲げ架空の人物を創
造するよう指示したとしても、史書局が納得してその指示に従ったか
どうか疑問である。そうした影響力を行使したことを実証する確実な
史料は存在しない。

45 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:48:48 ID:6goumxz0O
ついに他国の歴史文化まで中傷し始めたか…
中国って国は最低限の礼節すら知らない土人国家らしい…

46 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:48:49 ID:WlMYq6bW0
「日出づる処の天子」は聖徳太子ではない!! 
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/hi_izuru.html

聖徳太子の実績として語られる「日出づる処の天子」の国書も、
中国側の歴史書では「聖徳太子(厩戸皇子)」あるいは「推古天皇」が送ったなどとは
一言も書かれていません。
中国側の歴史書には、

・当時の日本の王は「女王」ではなく、男の「王」である
・王の姓は阿毎(アメ 「天」)、字(あざな)は多利思北孤
・「王の妻は鶏弥(キミ 「王」・「君」)
・太子の名は利歌弥太弗利(読み方不明)
・倭国には「阿蘇山」がある

この事実からは、隋に使節を送って国書を届けたのは、
大和の現天皇家ではなく、九州王朝の男性の王であったと推測されるのです。

47 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:48:59 ID:WKANDt4xO
>37
山岸涼子か!

48 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:49:12 ID:XsV3atJX0
>>1
聖徳太子不在説まではおもしろかったが、その後がね
この学説自体が政治的意図丸出しじゃねーか

49 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:49:14 ID:V8AT/miR0
>>40
>どうとでもいえる。
その言葉の意味は「中国と云う歴史は実にいい加減」という解釈でよろしいのですね?

50 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:49:18 ID:EUNEhXWx0
同じ妄想でも九州王朝説の方がまだマシだな。
こんな妄想垂れ流すなんてまさにキチガイ新聞

51 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:49:20 ID:HyOycTmI0

ということは死んだり生き返ったりしてる某キリストも架空の人物だな

52 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:50:35 ID:d4q9AYE60
>>39
アカデミーの流行や思想モードにおもねって
出世と注目が欲しい手合いは結構います。


53 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:50:40 ID:RnPQFKtuO
吉宗はいたけど暴れん坊将軍は実在しない


54 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:50:57 ID:X4bTRLGY0
最後の段落で自ら政治意図で記事を書いていますと暴露するから胡散臭くなるんだよね

55 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:51:05 ID:XTBgSOjF0
>>49
なんというか、今中国に住んでいる人間のほとんどが古代中国人と関係ない
というのは常識だと思うが。

孔子の子孫なんかもいるけどね。


56 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:51:24 ID:fyrEZw8X0
>>51
イギリス人の大半は、チャーチルを架空の人物だと考え、シャーロック・ホームズを実在したと
思っているらしいから、そのレベルまで日本の民度を下げたいのかもなあ。

57 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:51:40 ID:duBjpIUK0
>>1の中日の大山珍説を真にうけないように
長屋王の関与は推測の域を出ない

  聖徳太子の伝記には道教の影響があるのは事実である。聖徳太子の特異
な能力を叙述するのに、『史記』黄帝紀を利用されている。片岡山飢者説話
では、尸解仙(しかいせん)により濃厚な道教世界を現出し、さらには恵慈
の死という重要な仏教説話に老荘思想を割り込ませている。道教関係記事は
せいぜいこれくらいであるが、大山氏の説に従えば、長屋王の介入によって
これらの説話がでっち挙げられたことになる。だが、長屋王が関与したこと
を示す史料はなく、大山氏の推測にすぎない。

 では、聖徳太子の伝記にこうした道教的側面が追加されたのは、いつ頃だ
ろうか。この点に関して、田村円澄氏は興味深い説を提唱しておられる。氏
は太子信仰の成立を「厩戸王信仰」と「聖徳太子信仰」の二段階に分けて説
明される。「厩戸王信仰」とは、太子=厩戸王の死後の早い時期に、厩戸王
が建立したとされる7寺(斑鳩寺、四天王寺、広隆寺、中宮寺、法起寺、橘
寺、葛城寺)の近親者・側近者の間で生まれ、広められていた信仰のことで
ある。その中核をなすのは、厩戸王の身内の女性=尼たちだった。

 この私的な「厩戸王信仰」が国家的な「聖徳太子信仰」に転換するには、

律令国家の成立を待たなければならない。その時期は天武・持統朝であると
される。670年に焼亡した斑鳩寺は、国家の寺として天武・持統朝に再建
が開始された。通説である690年代頃よりも遥に早い時期に金銅や五重塔
の建設がはじまった模様である。この再建法隆寺の金堂の中尊には、「法
王」すなわち「日本の釈尊」=聖徳太子をモデルとした釈迦三尊像が安置さ
れた。聖徳太子に関係する上記の道教的説話は、この時期に付加されたとい
う。天武天皇は道教に心酔した君主として有名である。田村氏の説が正しけ
れば、『日本書紀』編纂の前に、天武・持統朝にはあるていど太子信仰が高
まりをみせ、その影響で聖徳太子の虚像的な側面がすでに形作られたことに

58 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:51:41 ID:AMTeGN840
>>万世一系は子孫を皇位にと願う持統天皇のあくなき執念と藤原不比等の構想によって成り、
>> その父系原理も日本古来のものとはいえないようです。


これおかしいだろ。持統天皇はあくまでもつなぎ。系譜的には天武天皇→草壁の皇子になるはずだよ。
まさか、天智の同じ男系を望んでたわけではあるまいに。

59 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:52:00 ID:cbcBa70a0
一番重要なポイントは蘇我馬子が天皇位にあったということだな。





60 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:52:09 ID:NMG9koMv0
聖徳太子はいなかったとかいう本書いて叩かれてトン走したバカ右翼いたよねwwwwwww

61 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:52:13 ID:kR0d8YQH0
>中国皇帝にも比肩できる聖天子・聖徳太子の権威の創作
どうせ捏造するなら、ものすごい天皇がいたってことにすればいいのに。

62 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:52:15 ID:HS1Wxunv0
>>39
何をもって在日なんだ?
お前新羅が上をいってるってのが気に入らないだけだろ

63 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:52:17 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

11章 聖徳太子(下) 遣隋使
 隋の煬帝が父の後を承けて王位に上ったのが西暦605年、我が国では憲法十七条の作ら
れた翌年に当たります。(中略)
 煬帝は久しぶりに支那大陸を統一して意気揚々たる勢いで、年号も大業元年とつけました。
支那では自分を大国として、周囲の国を小国とし、小国は大国の前に屈従すべきものと考える
習慣があるので(いわゆる中華思想)、日本からの国書も必ずその様な内容または態度であろ
うと期待していました。ところが開けてみて驚いた。そこには

 日出づる処の天子 書を日没する処の天子に致す。恙無きや。

と全く対等に書いてあるではありませんか。煬帝は不機嫌になって外務の役人に向かい、このよ
うな無礼な外交文書は二度と取り次がないように、と命令したことが、これは隋の歴史「隋書」に
明瞭に記されているのです。


隋書に聖徳太子の書簡について記述があることだし、存在していたとして何の問題も無い。
というか、存在していたのが当たり前なのだが。

64 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:03 ID:TVSsUasC0
確かに日本は今となっては、

「電波」が「真実」になってしまい、
「真実」が「電波」と呼ばれる時代だからなぁ

これら歴史教育の問題の殆どは、明治維新後の薩長藩閥政治によって、京都&西日本を中心につくられた歴史教科書に端を発している。
だが、まぁ、仕方ない面もある。なぜなら、その当時は、旧幕府の権威を低下させ、京都(朝廷)の権威を強めなければならない必要があったのだから。
それにしても、もうそれから100年以上も経っているのだから、そろそろ日本人もその洗脳された状態から脱却しないといけないね。

65 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:07 ID:jvHSjZ+OO
中国新聞か

66 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:29 ID:XTBgSOjF0
>>7
>支那の前漢から後漢に流行した讖緯説(しんいせつ)を採用しており、


讖緯説(しんいせつ)からだと、紀元前660年にはならないんだよね。
もうその説は否定されている。

67 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:31 ID:IwRvwJoU0
中国様に舐めた態度取った聖徳太子がいなかったことにしたい中日新聞

68 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:31 ID:HrghHIp40
聖徳太子の神社ってある?

69 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:53:53 ID:5FtSWURC0
物語日本史 (上)  平泉澄
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?USID=&W-NIPS=9833001661

11章 聖徳太子(下) 蘇我氏の横暴
 ところが不幸にして、この輝かしい時は長く続かず、国家は重大なる難関にさしかかりました。
それは聖徳太子の御病死であります。太子は、今こそ推古天皇の摂政であらせられますが、
皇太子でありますから、やがては当然御叔母天皇の御譲りを受け、即位せらるべき予定であり
ました。それが推古天皇の30年2月22日の夜、病気のためにおかくれになりました。御年は
49歳でした。日本書紀に、その時の悲しみを述べて、

 諸王諸臣及び天下の百姓悉く、長老(おきな)は愛児を失ふ如く(以下略)

と記しています。高句麗の僧恵磁(えじ)のごときは、「太子が御隠れになった以上、我一人生き
ていても仕方がない、来年の御命日には自分も死ぬことにする」といって、その通り亡くなったと
いいます。

70 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:54:12 ID:duBjpIUK0
>>1の中日の大山珍説を真にうけないように

道慈の関与の事実も確認できない

 大山氏は、聖徳太子伝記の中の仏教に関係した部分のみならず、『日本書
紀』の中の仏教関連の記述も、藤原不比等に託されて道慈が撰述したとされ
る。しかし『日本書紀』の述作に道慈が関わっているとする説は、大山氏の
オリジナリティではない。井上薫氏は戦前から戦後の著作の中で、すでに仏
教公伝記事は『金光明最勝王経』の文章を用いて執筆されており、その筆録
者は道慈と見なさざるをえないとの見解を発表されている。井上氏は、さら
に敏達13年条の善信尼など三尼が出家する記事や、敏達14年条の崇仏廃
仏論争記事なども、道慈が『高僧伝』をもとに執筆したのであろうとした。

 大山氏は、聖徳太子関係記事全体が、『日本書紀』編集の最終段階で道慈
によって述作されたと主張される。とくに、十七条憲法の撰述者は道慈であ
ると断言しておられる。だが、『日本書紀』の記述に用いられた漢字の音韻
や語法を分析して、述作者を具体的に推定するなど書紀研究に新たな展望を
開いた森博達氏は、大山氏の説を論拠のない空想であるといとも簡単に否定
される。

 推古朝の歴史を記述した巻22は、漢語・漢文の誤用や奇用が多い部分で
ある。森氏は、この巻の述作者として文武朝の文章博士だった山田史御方
(やまだのふひとみかた)を推測された。御方は学問層として新羅に留学し
た経験はあるが、唐に留学したはない。そのため、唐代北方音に暗く、その
文章は誤用や奇用に満ち、正格漢文といえるものではない。十七条憲法の文
章も倭習に満ちている。一方、道慈は16年もの長きに渡って唐で生活して
きた。帰朝後に巻22の草稿に眼を通したら、文章を訂正して正格漢文に直
したはずである。だが、そのような形跡はまったくない。したがって、聖徳
太子の虚像創造に道慈が関与したとする大山氏の説は、妄想であると否定さ
れる。

71 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:54:30 ID:HUFnPMpt0


  孔子は朝鮮人だった!
  
  釈迦は朝鮮人だった!

  これに近いチョンの妄想を感じるんだけどw




72 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:54:31 ID:cbcBa70a0
持統天皇(♀)を理解するのに重要なポイントは天武天皇の妻であるけど天智系の娘だということ。


73 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:02 ID:d4q9AYE60
今、せっせと>>1の中国語訳バージョンが
明日の「人民日報」囲み記事用に作成されているんだろうなぁw


74 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:35 ID:hfoxB8Iu0
しかし、この理論でいくと、三国志や魏志倭人伝など全ての歴史書が偽書になるから、
書の意味が無くなるね。

75 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:44 ID:vC2KnTpA0
人類みんな兄弟 アフリカ原産の猿

聖徳太子もブッシュもプーチンもアルカイダも金もみんな兄弟

どうでもいい とりあえず銭が欲しい



76 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:46 ID:uPRwDBUK0
”中日と書いてチョンニチと読むことが新たな歴史的事実として認識されました”
って言ってるようなものか?
まさにチョンクオリティー。



77 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:47 ID:HS1Wxunv0
>>72
何が重要なの?

78 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:55:59 ID:VCirU7Fv0
【自称愛国者の方へ お前らの国技の相撲協会がピンチだ 今こそ愛国心を試すときがきた】

いまこそ愛国烈士ネット右翼を相撲部屋に入門させ、時津風親方に日ごろの弛んだ
贅肉や精神を鍛えなおしてもらい、日本の精鋭部隊に変えてもらおうではないか ! !
                 ∧\____/∧
                / J         しヽ
                  {__________}
  求むネットウヨ!!  |___愛●国____| 
                |ミ./  \,) (,,/  ヽミ|
               (q(.   -◎─◎-    )p)--,,,_ ,
               ,/ ( ∴ )(o o)( ∴  ノ   , ゙', ,
               r´  ヽ、   ,_ 3_,.   .,,ノ    /  l   Come On ! !
             _,f'、   ,, ヽ.______.ノ゙''''i、,-''"゙i  i ,
          _,,r''´  ゙ "´            i   l  ,'
       ,,.‐'´ ゙'' ,、,,‐'iン'   .....   ..:::..     ', r,‐‐' ノ ,
   r、__,-'´   _,,-'´_,,,.-ヽ,       ,' '、    。  l i,)  /-,,_ ,
  ヒ'-'ゝ. 、 ,,.-‐'',.-''"´    l'、,. 。  ,...ノ  ゙'、,,_  ノソ_,/    `゙'‐, ,
  ゝミ_,,ノ"  ,'´       iヽ,`゙゙゙´       ゙゙"./ ̄i      ....::
        ト;:::..      ', i'、         ,/ノ.,ノ     ..:: ゙゙ ',
         ,'   ゙'',ソ‐-、   '、i i'‐、,_    _,,..ノ、,ィヘ,,-‐‐'"´゙i"   ゙,
.        ,'     ,'    `゙'',<´ヽ、'、 ヽ'マ'''"'‐、,,_ノ,  >     ';::    ',
      l   ,.ノ     <,  </"'嫌 韓 流 ゙>'  .>    ゙'、.    l
        l   /      i<   <` <;:::<, <,ゝ  ゙> <,i     ゙,  ..i
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1191034145/

79 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:03 ID:5FtSWURC0
>>71
壇君は中国人だった、でもいいかもね。

80 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:16 ID:2JBnGQ7S0
なんかワラタ
この人、その方面の学会ではどういう扱いなの?
珍奇な感じ?

81 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:19 ID:XMc5TeS90
>>46
最近思うんだが、
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す」って頭脳明晰で聡明な太子が
「日没する処の天子に」なんてあえてわざわざ中国にケンカ売るような言葉を書いたのは
後の日本人に向ける意味もあったんじゃないかと思えてきた

国の大きい小さいは関係ない
日本人はそれくらの気概を抱いて、もっと自国に誇りを持て!という
太子のメッセージも込められてるんじゃないか?

82 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:30 ID:5FtSWURC0
>>71
李舜臣は中国人だった、とかさ。

83 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:30 ID:XTBgSOjF0
もし聖徳太子が「日いずるところ…」だとしても、

>王の妻は?彌と号し、後宮には女が六〜七百人いる。


大奥?

84 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:56:57 ID:KWL0/zl50

  
     
      皇   室   不   要

85 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:57:14 ID:gFHGQsHf0
ドラゴンズのファンだが中日新聞のファンにはなれそうも無い

86 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:57:26 ID:duBjpIUK0
>>71
参照

87 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:57:28 ID:d4q9AYE60
建国記念日の朝から
テロ朝は「金嬉老インタビュー」ですか
そうですか


88 :"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆XS/KJrDy4Q :2008/02/11(月) 09:57:32 ID:2jOH07lF0
聖徳太子の否定という結論を設定して、
都合のいいように寄せ集めたゴミの山の発表会か?

89 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:57:33 ID:wvgQQuB10
厩戸皇子は今まで言われてきた聖徳太子とは違っていた、というだけの話でしょ。

90 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:57:52 ID:cbcBa70a0
>>77
持統天皇は天武系じゃないということ。



91 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:58:28 ID:HS1Wxunv0
>>80
普通だよ別に
ただ聖徳太子に関しては何でこんなこと言ってんだろうなあって感じ

92 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:58:43 ID:/00SBseb0
>>51
聖徳太子=イエス・キリスト説

93 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:58:44 ID:XTBgSOjF0
>>81
少なくとも、隋書に書いてあるアメタラシヒコが聖徳太子だとはとても思えない。



94 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:59:00 ID:qdqhSSSMO
俺、早稲田卒なんだけど、ある教授が、聖徳太子虚像説を
ボロクソに批判してたよ。
父親も有名な学者だった教授。
「日いづる国の〜」って書簡は太子(と呼ばれるだけの優秀な官吏)
じゃなきゃ書けないと。当時の日本は、それなりに中国の偉大さは分かっていたから
身の程知らずの書簡ではないらしい。

95 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:59:38 ID:NR8cdG6+0
>>34
だよな、「嘘・大げさ・紛らわしい」よ(怒
ついでに「牛丼一筋三百年〜♪」とあるが
そんなに牛丼の歴史が古くないってのも
ついでに検証しろってんだ(怒

96 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:59:42 ID:Ax1XqxNU0
二行にまとめてください><

97 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 09:59:42 ID:nb4yDyuE0
中日新聞ってどこの国の新聞?

98 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 10:00:06 ID:YgPX08Eq0
この記事の問題は聖徳太子の事じゃ無くて蘇我氏の事だな
聖徳太子の有無や政策なんかはいろいろ説が有るみたいだけど
蘇我氏の大王説は完全に大山の電波だわな

99 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 10:00:16 ID:duBjpIUK0
>>1

大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
大山氏の主張は根拠なし
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm



100 :名無しさん@八周年:2008/02/11(月) 10:00:59 ID:ynfUobY90
ヤマトタケルとかならまだしも。記紀編纂からせいぜい6,70年前の国家最高指導者を
架空の人物として捏造するなんて不可能だよ。

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